獣医師執筆
森のいぬねこ病院グループ院長
日本獣医学会、動物臨床医学会、獣医がん学会所属
西原 克明(にしはら かつあき)先生
扁平上皮癌とは、名前のとおり『扁平上皮』と呼ばれる組織がガンになったものです。ではその扁平上皮とは、体のどこにあるのでしょうか?
実は扁平上皮は体のあちこちに存在します。例えば皮膚は顕微鏡レベルで見ると、一枚の皮ではなく、何層もの組織が重なって『皮膚』を構成しています。その中の一つに扁平上皮が存在するのですが、それは皮膚に限らず、腸や子宮、あるいは歯肉や鼻腔の粘膜組織にも見られます。そして扁平上皮癌はその中に存在する扁平上皮細胞がガン化したものですから、実は扁平上皮癌は、体のあちこちに発生するガンなのです。
その中でも犬の扁平上皮癌は、皮膚や歯肉、鼻腔内あるいはまぶたや唇、足先での発生が多いと言われています。
文献上は、スコティッシュテリア、ペキニーズ、ボクサー、プードル、ダックスフンド、ダルメシアンなどの犬種で発生が多いと言われていますが、私の経験上、特定の犬種に限らず、幅広い犬種で見られるガンだと考えています。
ほとんどの扁平上皮癌の原因は不明です。しかし、日光、特に紫外線を浴びる動物では、扁平上皮癌にかかりやすいのではと考えれていて、『日光角化症』という皮膚病との関係性があるのではと言われています。また、ある種のウイルスが扁平上皮癌の発生と関係あるのではないかとする文献もあります。さらには、慢性的な炎症によって発生する可能性も指摘されています。
どのような症状がありますか?動物病院を受診するポイント
犬の扁平上皮癌はその発生場所によって症状はさまざまですので、ここではよく見られる場所について、解説します。
皮膚に発生する扁平上皮癌は、一見するとただのかさぶたにしか見えなかったり、さらにはただのイボ、あるいはジュクジュクとした潰瘍のように見えることがあります。しかも数ヶ月もの間、治ったり再発したりを繰り返し、『治りの悪い傷』のように見えることもあります。また、見た目にかさぶたや潰瘍が見られない場合は、良性の腫瘍のように見えてしまい、扁平上皮癌と気づかず見過ごしてしまう可能性もあるため注意が必要です。
このように、皮膚の扁平上皮癌は見た目には様々な姿で現れます。決して見た目で判断せず、「しこりかな?」と思ったら、あるいは「傷だと思ったのに治りが悪いな」と思ったら、必ず動物病院を受診し、細胞診検査(しこりに針を刺して細胞を採取し、それを顕微鏡でチェックする検査)で確認するようにしましょう。ただし、針での細胞診検査では扁平上皮癌は診断しきれないこともありますので、その時は手術による外科的切除を行い、より確実な病理検査を受けることが大切です。
歯肉や舌にできる癌のうち、扁平上皮癌の割合はそこそこ多いため、歯肉や舌にできものがある時は、扁平上皮癌を常に疑う必要があります。しかし、普段からこまめにチェックしないと見逃すことが多い場所です。さらに歯の裏側や奥歯周辺、舌の根本周辺は、しっかり見ることが難しい場所なので、そういったところのしこりも見逃さないように、入念にチェックする必要があります。
歯肉や舌にできる扁平上皮癌も皮膚と同じように見た目は様々で、ポリープ状に見えることもあれば、口内炎のように赤く腫れている場合もあります。さらには、口臭や歯肉からの出血など、歯周病と同じような症状が見られたり、発見が遅れた場合には、よだれや食欲低下、さらには食事をうまく飲み込めないなどの症状が見られることもあります。
歯肉や舌にできたしこりは、皮膚のように針を刺したりすることが難しく、診断のために全身麻酔が必要になることもあります。もちろん全身麻酔には少なからずリスクがありますが、扁平上皮癌は早期発見できれば、完治できる可能性があります。ですので、なるべく早い段階で診断・治療ができるよう、検査も積極的に進めることをお勧めします。
鼻腔内の扁平上皮癌は、鼻の中の空洞に発生する癌のため、直接その姿を見ることができません。ですので最初は鼻炎のような症状(くしゃみや鼻汁、あるいは流涙)しか見られないことも多いのですが、進行すると鼻腔内で癌が大きくなり、見た目にも、鼻筋が片方だけ異常に盛り上がったり、あるいは癌に侵されている側の眼球が出てきたりというような顔面の変形が見られるようになります。さらに鼻腔内の炎症も進み、鼻血や膿を持った緑や黄色の鼻汁が見られるようになります。
鼻腔内の扁平上皮癌は外からは見ることができないため、CTやMRIといった画像診断機器と鼻腔内生検が有効です。CTやMRIは持っている施設が限られますし、鼻腔内生検ではそれなりに出血も多い検査となり、さらには検査自体に全身麻酔が必要です。これらは検査自体にリスクがありますし、さらにはそれなりに費用もかかります。ですが、やはり他の扁平上皮癌と同様、積極的な治療を行うには早期発見が非常に大切ですので、しっかりとメリットデメリットを踏まえ、検査を進めていただければと思います。
足先に見られる扁平上皮癌は、爪の根元から発生するケースが多く、この部位の扁平上皮癌に関しては、大型犬や黒色の犬に発生が多いと言われています。見た目にはイボのようになっていることもありますし、腫れているように見えることもあります。さらには皮膚の扁平上皮癌と同じようにかさぶたが付いていたり、潰瘍状になっている場合もあります。
足先の扁平上皮癌は、大きさにもよりますが、皮膚の扁平上皮癌と同様、細胞診検査や外科切除後の病理検査が有効です。しかし、足先の扁平上皮癌は外科的な切除が非常に難しく、場合によっては、検査のために、しこりの一部だけを切除して検査をし、扁平上皮癌が確定したのち、再度、癌の完全切除を目指した手術を行うこともあります。
どのようにして治療しますか?手術、抗がん剤など
犬の扁平上皮癌の治療方法は『外科切除』つまり手術による癌の完全切除が基本になります。
扁平上皮癌は、他の癌と比べて転移時期が遅いケースが多く、早期発見と積極的な外科切除によって、完治を目指せることがあります。ただし、外科切除では、細胞レベルで扁平上皮癌がしこりの周辺に散らばっていることが多いため、手術の際には、見た目よりもかなり大きく切除する必要があります。それにより細胞レベルの癌細胞まで完全に切除できた場合は、完治させることができます。
ただし、扁平上皮癌ができる場所によっては、外科切除が犬にかなりの負担を与えてしまうことがあります。例えば、歯肉にできた扁平上皮癌では、癌とともに顎の一部、もしくは顎の片側全部を切除する必要があり、手術後は、見た目が痛々しい姿になってしまったり、食事の食べこぼしが多くなるといった機能的な問題が出てしまうこともあります。
さらに足先にできた扁平上皮癌では、しこりだけでなく、断脚術といって、足の一部ごと切断する必要があります。そうなると三本足で歩かなければならなくなり、犬にとってもまた飼い主の方にとっても辛い思いをさせてしまうのですが、そこまでのレベルの治療をしないと、再発や転移してしまい、十分な治療効果が得られなくなってしまうのです。
もしあなたのワンちゃんが、扁平上皮癌で外科切除を行う場合は、どのような手術をするのか、そして手術後の状態がどうなるのか、そのあたりまでしっかりと確認するようにしてください。
鼻腔内の扁平上皮癌、あるいは他の扁平上皮がんでも、完全な外科切除ができないケース、あるいは外科切除自体が不可能なケースでは、放射線療法や化学療法(抗がん剤療法)を行います。
放射線療法は実施できる施設が限られますが、外科切除と組み合わせることで、完全な切除ができなかったケースでも、放射線療法が有効に働いているケースもあります。しかし、まだ十分な効果は検証されておらず、放射線療法を実施する場合は、メリットとデメリット、あるいは実施施設の有効性やリスクなどを十分に確認した上で受けるようにしましょう。
また、犬の扁平上皮癌に対する化学療法は、様々な抗がん剤を用いて行われていますが、私が知る範囲では、犬の延命効果や生活の質を向上させる効果が得られる方法は、未だ十分に確立はされていません。
しかし、ごく限られた施設ではありますが、化学療法の中でも『動注化学療法』と呼ばれる方法を取り入れている施設もあります。動注化学療法は通常の化学療法よりもより強力に抗がん剤を作用させつつ、なおかつ副作用が少なくできる治療法で、鼻腔内の扁平上皮癌など、手術ができない癌に対して、有効となる可能性があります。動注化学療法については、獣医療ではまだまだ研究レベルの治療方法のため、実施にあたっては、その施設の獣医師と十分にコミュニケーションをとって行う必要があります。
前述のとおり、犬の扁平上皮癌は様々な症状を持っているので、ここで典型的な治療例をお示しするのが難しいです。
ただしどんな犬の扁平上皮癌でも言えることは、とにかく、まずは早期発見、これが何より大切です。つまり、普段からしこりを見逃さないようにこまめに体全体のしこりをチェックすること、そしてしこりを発見したら様子を見ないで、なるべく早く検査をすることが重要です。そして、完全に外科切除ができた場合は、その後も元気に暮らせる犬が多いです。
しかし、一転して発見が遅く、外科切除が難しいケース、あるいは外科切除が不可能な場合は、病変部の炎症による痛みや、転移などでとても苦労してしまいます。
犬の扁平上皮癌は、何よりも早期発見と早期治療、これを心がけていただければと思います。
普段からどんなことに注意して飼ったらいいですか?
犬の扁平上皮癌は、今のところはっきりとした原因はわかっていません。ですので、日常生活で予防する方法は残念ながらありません。
しかし、犬の扁平上皮癌の中には、日光つまり紫外線を強く浴びるとその発生が増えるといわれているものもありますので、紫外線を浴びすぎないようにすると、ある程度の予防効果はあるかもしれません。
また、いずれの犬の扁平上皮癌も何かしらの『炎症』が関わっている可能性があります。ですので、例えば歯肉や舌の炎症に関わる歯周病対策(歯石および歯周ポケットのクリーニング)やアレルギー性皮膚炎など慢性皮膚炎のコントロールなどを行うことが予防につながるかもしれません。
ただし、これらはあくまで個人的な見解で、科学的なデータに基づくものではありません。このような対策を考える場合は、かかりつけの獣医師としっかりと相談の上、実施するようにしてください。
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執筆者
西原 克明(にしはら かつあき)先生
森のいぬねこ病院グループ院長
帯広畜産大学 獣医学科卒業
略歴
北海道、宮城、神奈川など様々な動物病院の勤務、大学での研修医を経て、2013年に森のいぬねこ病院を開院。現在は2病院の院長を務める。大学卒業以来、犬猫の獣医師一筋。
所属学会
日本獣医学会、動物臨床医学会、獣医がん学会、獣医麻酔外科学会、獣医神経病学会、獣医再生医療学会、ペット栄養学会、日本腸内細菌学会
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